はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

魂の話/ひらめの学び

いつもですが、今回も長文、いや、かなり長文にて、すみません<(_)>

障がいって何だろう。

はるはると一緒にいて、
そんな疑問が
ときどき
ふと、

心に浮かびます。

ダウン症で心臓に疾患があって、気管切開をしているはるはる」
という目ではるはるをみているときもあります。
でも、ときどきふと、
「ひらめの次男の可愛いはるはる」
が大きく大きく私の中にとけ込んでくる瞬間があるんです。

はるはるは特別なのか?
誰一人として、特別ではない人はいません。
いいえ、そういう意味ではなく、別の「特別」。

コンセントのコードで遊ぼうとしたり、
何かをじーっと観察していたり、
ここはどこだろうときょろきょろしていたり、
うんちをしたり、おしっこしたり、
声を発してみたり、
笑顔を向けてくれたり、
虫のいどころが悪くて怒ってみたり・・・

何が一体違うっていうのだろう。


確かに負担はあります。
心臓や呼吸の負担。
私にも負担があります。
お世話にくわえての吸引。
体調管理への心配り。
外出での気遣い。
風邪だって悪化しやすいし・・・。

はるはるは、自分を「特別」だと思っているのでしょうか。

多分、思っているのは、私や私達なのでしょう。
それは仕方のないことだとも思います。
だって、確かに、違うところがあるから・・・。

母親の私でさえ、いったりきたりするんです。
心の中で。
はるはるの肩書きと、まるっきりただのはるはるとが。


皆、それぞれに目的があり、その目的に達するために学びがあるのだと思います。
だから、それぞれが目的にあった姿をまとってこの世におりてくるのだと思います。
体には限界があり、個々にそれは異なるけど、魂は永遠に同じ「人物」なのだと私は思います。

ある日、いつも行く病院で、おもしろい感覚に陥りました。
様々な障がいや病を抱えているお子さんの姿が
「箱」にみえたのです。
段ボールや紙でできた「箱」ではありません。

人間界における彼らの学びに最も適した「姿」をまとっている
そういう「箱」にみえたのです。
それは、もちろんはるはるも、そして、私自身もです。

人は、誰も自分の心のうちしか知りません。
自分の悩みが一番深く、痛く、辛いものだと多くの方が感じるのではないでしょうか。
その悩みや苦悩が深ければ深い程、気持ちの上で余裕がもてず、自分をも相手をも傷つけてしまう
ことも時にはあると思います。
一人一人が精一杯で、どんな姿をまとっていても、どんな生活を送っていても、どんなことを考えて
いても、恐らく一人一人がもつ「命」「存在」は尊いものだと思います。

生きている間に起こる事柄、感じる事柄は、一つ一つに意味があって、それらは、自分だけの目的
にそって起こる事柄で、苦悩しながら、もがきながら、泣きながら、絶望しながら、影響し合いながら、その中から学びを得て、目指す境地へと達していくのだと思います。

ひらめが現在、存在している「今世」には、産まれてから死ぬまでの間に目的があるのだと思います。
でも、「ひらめ」という名前の人生に存在する目的だけではないと思うんです。

「永遠に存在する〈魂〉」の「一生をかけて存在する〈大きな目的〉」
というものが土台にあって、
生まれ変わるごとに、一つ一つの目的をクリアしていって、大きな目的に達していくのだと思います。

100万回生きたねこ佐野洋子 作・絵
という絵本をご存知ですか?
この絵本と出会ったのはいつだったかしら。
もうかなり前だったと思いますが。
初めて読んだ時、意味が分かりませんでした。
「消化不良」で「しっくり」しない絵本だという印象がありました。
でも、心の隅でこの絵本が住み続けていたんです。

はるはると出会って、この本が私の最表面に浮上してきました。
改めて読みたいと思い、購入しました。
何となく判ったのです。と、いうかしっくりきたんです。

注:これは、私(ひらめワールド)の解釈なので、これが正しいという訳ではありません。

「輪廻転生」ではないかと思いました。
主人公の猫は、100万回産まれて死にます。
どの人(猫)生も、この猫は納得していません。
毎回、虚しい、そんな一生を送ります。
そして、100万回目に猫は、やっと納得する人生を送り、
「死」を迎えます。

「愛」を知ったのです。

彼は「愛」を学ぶ為に、こうして100万回も産まれてこの世にきたのでしょう。
猫は様々な国で様々な人のもとで暮らします。
もちろん肉体は別々です。
殺されてしまう人生もあったり、事故でなくなってしまう人生もあったり、
老衰でなくなる人生も経験します。
でも、一つだけ1回目から100万回目まで同じ存在があります。
それは、猫の「魂」です。

スピリチュアルカウンセラーの江原さんが本の中でおっしゃっています。
魂には年齢があるそうです。
親の魂が子よりも年上だということは、必ずしもないということです。
子が親よりも魂年齢が高いこともあるそうです。
魂の年齢とは、より多くの輪廻転生を経験し、魂の学びを多く経験されている
方のことだと思います。

この世において、何かしらの障がいと呼ばれるハンディをもって産まれるということは
大きな負担を自分自身も家族にもまわりにもかけてしまう可能性が高いと思います。
ハンディのある肉体を選択してこの世に産まれるということは、相当の勇気がいると
思うんです。
ハンディを背負うということは、それだけ心の学びが大きいということなのだと思います。
だから、魂の成長が私なんかよりもぐーーんとぐーーんと大きいのだと思うんです。

はるはるは、私の息子ですが、
もしかしたら魂の年齢は私よりもう~んと「先輩」なのかも知れません。

はるはるが選択してきたこの「姿(肉体)」、学びに挑戦し、努力する勇気を
私は尊敬します。
そして、はるはるの学びが順調に進み、はるはるが設定した寿命がくるまで
できるかぎりお役に立たせていただきたいと思います。

はるはるのお陰で、多くの学びをさせていただいています。
私だけではなく、家族みなの学びの為にもはるはるは産まれてきたのだと思います。
でも、はるはるも自分自身の学びの為に産まれてきたのだと思います。

まさに「三方善し」です。
素晴らしい☆

はるはるは、次の人生でどのような姿を選択するのでしょうか。
どのような人生設計をたてるのでしょうか。
それとも、もう生まれ変わる必要はないのかな?

あの世に帰ったときに、「はるはる自身(名前のないはるはるの魂)」と再会し、
話をするのが楽しみです。