はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

魂の経験と記憶/ひらめの独り言

古い段ボールに詰め込まれていた
過去の思い出の品々をみて、
なんとなーく思いました。

現在の私は「ひらめ」という名前の人生を歩んでいますが
私の魂には、色々な名前の人生がメモリされていると思います。

子供の頃に私は「子供(男の子)を亡くした親」や「親(母親)を亡くした子供」
の物語をよく書いていました。
孤独な主人公を描くことも多かったと記憶しています。

その頃の私には、親を亡くした経験も(両親が離婚した経験はありますが)
子供を亡くした経験もありませんでした。
特に、それらを不思議に思うことはありませんでした。

でも、最近、ふと思ったんです。
もしかして、これらは、表面上では記憶していないけど
魂が記憶している経験なのかも知れないなと。

愛する家族を亡くすという経験。
それらを、過去世の私はちゃんと乗り越えてこられたのだろうか・・・。

自らが設定してきた課題をクリアできずに今世での人生の幕を閉じると
来世以降も同じような課題を設定するのだと思うからです。
もし、過去世で自らがこの世をリタイアされた場合は、
来世での課題が更に重いものになると、以前ある書籍で読んだことがあります。
そして、こういうことも書かれてありました。
自らがリタイアされた過去世をおもちの方の多くは、
今世でどんなに過酷な現実の中にいらっしゃっても、
決して「自らの力で自らの命を絶たない」という強い意志をもっていらっしゃるそうです。

私の魂は、どんな経験をしてきたのでしょう。
罪を犯した過去世もあるかも知れません。
その罪を償うという過去世もあったかも知れません。
リタイアした過去世もあったのでしょうか?
高所恐怖症なのは、高い所から落ちて亡くなった経験があるからでしょうか?
子供の頃、水が怖かったのは、溺死した経験があるからでしょうか?
ボールなどがせまってくるのが怖いのも、何か理由があるのでしょう。

どうして、このような内容で書き込みをしたくなったのでしょうか?!
私が書き込むことで、このブログに訪れてくださる方の中に、
この記事がお役に立つことがあるからかも知れません?!


先日、運転しているときのことです。
深くて大きな幸福感に包まれました。
朝の柔らかな光に照らされた風景、光のもとに現れた影、
光と影の2対をみて魂が震え出したんです。
言葉にならない感動の波が押し寄せて、「ありがとう」と
ハンドルを握りながらペコペコしました(笑)


魂にとって、過去の名前は必要ないのでしょう。
来世の私は「ひらめ」という名前の私を覚えてはいないでしょうが
ひらめという名前の人間が努力してきたこと、体験してきたこと、
感動、感性、悲しみ、恨み、恐怖、好み、性格などは、しっかりと記憶されて
来世の「ななしのごんべいさん」に引き継がれていくのでしょう。
できる限りプラスなできごとを引き継げるように、努力していきたいと思います。