はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

霊に関する話が苦手な方はご遠慮ください/ひらめの不思議な体験

この2、3日の間に起きた出来事です。
でも、今朝解決しました。

10代のはじめから後半にかけて、多くの低級霊に憑イされた経験がありました。
そして、ある方との出逢いで、それらの低級霊とはおさらばしたという記事を
以前に書き込みました。

だから、22、3年ぶりにこれに似たような憑イを体験したことになります。
ただ今回のは、あの時に経験したレベルよりも軽い部類に入っていたので助かりました。
助かったというのは、以前のように誰かの手を借りることなく、
もしくは、誰かの手を借りる程までに問題が大きくなる前に
自分自身で「浄霊」できたからです。
また「意識している中で」自分自身で「浄霊」できた経験は
恐らく初めてのことだったので、非常に大きな自信につながりました。
「意識している中で」というのは、スピリチュアルカウンセラーの江原さんが
おっしゃっていますが、誰でも日常の中で、ごくごく軽い「憑イ」を
体験しているということなんです。
同じような悩みやマイナスの部分をもつ人間と肉体のない魂同士が
磁石のように引き寄せ合って、お互いが同じ経験(苦しみや成功体験)を
することで同時に「気づき」を得て、「浄化」(魂の成長)していくということのようです。

しかし、今回、低級霊を引き寄せ、受入れてしまった自分にショックを受けています。
どうしてこのようになってしまったのかは、私自身にその原因があるからです。
同じようなマイナスの想いを私が引き寄せてしまったからなんです。
その引き寄せるきっかけになった原因も判明しました。


どうして、引き寄せてしまったのかをお伝えする前に、
どのような経験をしたのかを綴りたいと思います。

それは、ある複数の友人のメールがきっかけでした。
同じような時期に、内容は違いますが、同じようなマイナスエネルギー
の強い内容の相談(?)をいただいたんです。
それらは、メールを送ってくださった友人たちが悪いわけではありません。
私がそれを引き寄せただけの話なんです。

最初のメールをいただいたときに、「どん!」という衝撃を体にうけました。
誰かが強く私にぶつかってきたとでもいうのでしょうか。
下半身が岩のようにかたまり、床から腕が伸びて、
特に左足の足首を強くつかまれて引きづりこまれていくような感覚を得ました。
足首にからみつく5本の指の感覚がしっかりとありました。
自分自身を失わないように、飲み込まれないように「自分」を
しっかりと持つように意識しました。
とりあえずその日は落ち着いたかのように思えました。
しかし、別の方からメールをいただいた後から、
どうも自分の様子がおかしいことに気がつきました。
でも、ほんの小さな違和感だったので特に気にすることもなく過ごしました。
そして、今朝!
病院に向かう車の中でそれが顕著になったのです。
運転に集中できず、しっかりしないと事故をおこしかねない恐怖が生まれました。
小さな不安が膨らんでいって、真っ黒な穴が私を包み込んでいったのです。
心の中に「攻撃的な私」「憎悪むきだしの私」がいることに気がつきました。
でも、あきらかにそれらは普段の「私」ではありませんでした。
その時、高校の頃に体験した憑イを思い出したんです。
「あ!あの時とまったく同じ感覚だ!」と。
ということは、これは私じゃない。
私の中に全く別の人格の誰かが入ってる!
ということに気がつくことができたんです。
恐らく、高校の時の経験がなければ、気がつかなかったかも知れません。
あの時に出会って私を憑イから解放してくださった先生が
おっしゃっていたことを思い出しました。
「自分のことは自分で始末すること」
できるかどうか自信はありませんでしたが、
これで負けていては、今後も同じようなことをくり返すことになるかも知れません。
それは嫌でした!
オーラの泉」で、みわさんがおっしゃっていたことを思い出しました。
「はっきりと出て行け!と意思表示をすること」
中途半端な意識ではなめられてしまい、いつまでも居座られることになります。
まずは、自分に言い聞かせました。
「私自身の力で解決するぞ!できる。できる」

しばらくは、躊躇している自分がいました。
でも、何度も自分に「自分のことは自分で解決するんだ!できる。私はできる」と
言い聞かせていました。
自分が引き寄せておいて、「出て行け」なんて虫が良すぎるし、
憑イしてきた相手にも悪いような気がしたんです。
それは、不必要な「同情」です。
そこが私の弱いところで・・・。
相手にはっきりと自分の意思を示すことも時には大切なことです。
(相手にとって本当の幸せはいつまでもお互いに依存し
 傷をなめ合うことではなく、自立していくことだから)

だから、「愛」をもって容赦なくぴしゃりと言わなきゃいけないことも必要なんですよね。
そんなふうに葛藤していたある瞬間に
「出て行け!」
って、叫んでいました。
ほぼ無意識だったので、自分でもびっくりしてしまいました Σ(@@
心の底から出て来た言葉でした。
一言出たらもうこっちのペースです。
私の中の誰かが出て行くまで
「出て行け!」と叫び続けました。

そう、運転しながら鬼の形相で。
何度か叫ぶうちに、ふわっと体が軽くなりました。
私の中には、いつもの「私」しかいません。
その途端、涙が流れてきました。
彼女たちは解ってくれたようです。
私は、続けて彼女達に語りかけました。

 これは、私の体であって、あなたの体じゃないんだよ!
 これは、あなたの学びであって、私の学びじゃない!
 私の学びは、あなたの学びじゃない!
 それに気がついて!そして、逃げずに受入れて!
 いつまでも逃げているから辛いんだよ。
 立ち止まって受入れる努力をすれば楽になるんだよ。
 頑張ろうね。
 自立しようね。

段々と私の口調は柔らかくなっていきました。
諭すように語りかけました。
病院に付くまでの間、彼女達は私のまわりにまとわりついていましたが
いつの間にかいなくなっていました。
「気づき」を得てくれていたら嬉しいです。
彼女達の「幸せ」をお祈りしています。




私にはある大きなトラウマがあります。
それは「集団」です。
小学校、中学校、高校と「いじめ」という文字が私を包んでいました。
大学に入って、それは形を変えてやってきました。
仕事先でも似たようなことを経験しました。
でも、それらは段々と小さくなっていきました。
結婚して、それらの問題とは無縁になりました。
長男が誕生し、保育園に上がると、若干見え隠れをはじめ、
4月から始まる学校生活を前に、私の抱える「不安」「恐怖」「緊張」は
大きく表面に出て来るようになってきたんです。
だから、そこに「隙」ができて、この隙にマイナスの念や低級霊が
入り込んできたのだと理解しています。

「集団」になると一人の意識ではどうにもならない問題が発生します。

江原さんの書籍にはこのようなことが書かれてありました。
(書籍通りにはかいていません。
 私が本を読んでこのように理解していることをかきました)

例えば「いじめ」にあっている場合、環境をかえることも一つの方法です。
環境をかえることで、解決できることもあります。
しかし、何度か環境をかえても全く同じ問題につきあたる場合は、
その人自身に問題の原因がある場合もあるといえます。
この場合は、逃げずに自分自身を「内省」し、解決していく努力を
する必要があります。
例えば、あなた自身が学校時代にいじめをうけていたとします。
学校を卒業してそれらのことと無縁になったようでも、
例えばあなたの子どもさんが学校に上がった時に、
その子どもさんも同じようにいじめを受けたら、あなたは
「まだその課題はクリアしていないよ」ということなのかも知れません。

それから、これまたタイムリーな話を昨日聴きました。
それも病院に向かう車の中で聴いていた
あるラジオ番組の司会の方が言っていたことです。
「僕が新しく企画することすべてに対して必ず毎回
 それらのことを「裏」にとるリスナーが現れるんです。
 良かれと思ってすることでも、僕の意図することとは真逆の意味にとる人が
 必ず一人はいるんです。
 もうすぐ4月。
 それぞれに新しい環境に入る人たちもいると思います。
 その中で、どんなに努力してもうまくいかなかったり
 協力が得られなかったりすることがあると思います。
 でも、決して自分を責めないでください。
 それは、自分が原因であるとは必ずしも言えないからです。
 周りいる人たちが原因になっていることもあると思うんです。
 色んな考えの人がいるからね。
 だから、諦めないで」


「集団」が苦手なことの一つに「仲間同士の悪口の言い合い」があります。
相談されるもしくは、悪口(愚痴)を聴く場合、板挟みになるとこれはこれで辛いものです。
しかも仲間同士の愚痴を聴くと、今まではその人に対してなかったマイナスの
感情が芽生え、その人に対する見方までかわってしまうこともあるからです。
言葉の持つ力というのは恐ろしいもので、言葉は「ナイフ」にもなるんです。
でも、悪口を言った相手が悪口を言われた相手と仲良く話をしたりしているのを見ると、
非常に複雑な想いを抱くこともあります。

人の口に「戸」は立てられません。

オーラの泉で、お二人の方がよくおっしゃることがあります。
付き合いは「腹六分」にと。
お互いに深入りするとやけどをします。
それから、「愚痴は聴かないこと」「愚痴は言わないこと」
とも言っています。

子どもを授かると「ママ友達」を作らなくてはいけないのかな?
というプレッシャーが私にもありました。
でも、番組ではこう言っていました。
それが非常に私の気持ちを楽にしてくれました。

自然に気があってお付き合いする分にはいいけれど、
「ママ友達を作らなきゃ!」って思う必要はないと。
でも、それでも付き合いは「腹六分」を目安にするといいですよと。

保育園では、それを意識してお付き合いをさせていただきました。
今度は、小学校です。
もう既に色々な情報が耳に入ってきています。
ママ友達同士での悪口の言い合いやいじめや仲間はずれ等の話です。

「ひらめは一体どこまで成長できたのか」「課題がクリアできているのか」を
小学校に長男が上がることで確認することができます。
もしまた、過去に体験したことと同じような世界に縁があるとしたら、
その時は逃げずに学ばせていただこうという覚悟ができました。
それは、この2、3日でおこった出来事のお陰です。
もう私の中には「大きな不安」も「恐怖」もありません。

くるなら来い!大丈夫!私は乗り越えられる!

だから、感謝ですね。
マイナスだと思っていた体験ですが
気づかせていただきました。
「ありがとう」。