はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

掘り進めていく作業/ひらめの学び

武士道や書道、弓道、華道、芸術の道、さまざまな「道」には「深さ」があるように、言葉の持つ意味にも「深さ」があるんだということを、はるはるを授かって学ばせていただいています。

それに気がつかせていただいたのは「感謝」という言葉からです。
「感謝」という言葉を知っていましたし、「感謝」をしていたつもりでした。
でも、はるはるを授かってしばらく抱え込んでいた闇を手放した時に、「感謝」には深さがあるといういことに初めて気づかせていただきました。
このときの感動と衝撃は今でも忘れられません。

それらの言葉自体(名詞)を知っていても、その言葉の意味(辞書)を知っていても、「言葉ではない溢れる感動」と共に自らの中から産まれてきて初めて、その言葉を知った(理解)したことになるのかも知れないなと思いました。
しかし、自らの中から産まれてきても、その言葉のもつ意味のすべてを理解したとは言えないと思います。
なぜなら、すべてのものには「深さ」があるからだと、私は思うからです。
掘り進めていっても底にたどりつかない、深さがあるのだと思うからです。

「向上」にも「高める」にも「上」や「高い」という言葉が入っていますが、魂を向上させるためには、品性を高めていくためには、「上」ばかりをみて「高さ」ばかりを求めていても得られないのだと思います。

「向上したいのなら」「深く掘り進めていく」ことが必要なのだと思っています。
掘り進めていくのは、他でもない私自身がすることです。
掘っていく作業は、孤独でしんどいことが多いと思います。
しかも、闇に向かっていく作業を自らの手で進めていかなくてはいけません。
逃げ出したい程に辛い体験をすることで、自分をみつめ、そこから気づきを得ていく作業を通して、私達は少しずつ掘り進めていけ、そのたびに魂も品性も高まっていけるのだと思います。

「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」

「感謝」という言葉には「謝る」という文字が入っています。
これは、ひらめ独自の解釈なので本来の意味にはそぐわないことを了承してください。
「感じて」「謝る」
「感じる(気づきを得る、感動をする)」ことで「謝る(頭を垂れる)」謙虚な気持ちになれることなのではないかと思いました。
魂のレベルが高い方ほど、品性の高い方ほど、謙虚な方が多いのだと私は思います。


私はまだまだ高慢です。
深さが足りません。
だからこそ、掘り進めていきたいと思います。