はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

感謝は我が身を救う/ひらめの学び

昨年、はるはるがまだ入院している頃のことです。
非常に疲れていたのか、気持ちは下がり気味で、面会に行きたくないと思っていました。
こんな調子で運転していたので、集中力に欠け、危ないなと思いながらハンドルを握っていました。
ぼーっと色々なことを考えていました。
はるはるを授かってからのことを。
ショックだったこと、それを乗り越えてきたこと、主人とのこと、長男のこと・・・。

そして、突然「ありがたいな!」という気持ちがうわーーっと湧いて出てきたんです!

世界には、お医者さんにかかりたくてもかかれない子供達がたくさんいる
戦争をしていて、心にも生活にも余裕がもてない国がたくさんある
栄養が充分にとれない子供たちがたくさんいる
子供を授かりたくても授かれない方がたくさんいる

私はどうだろう。

はるはるは、お陰さまでお医者さんさにかかれるだけではなく
入院までさせていただいている
体調の管理をしてくださっている
我が子を二人も授かっている
はるはるの面会に、こうして車で行かせていただいている
車を持つことができること
生活に余裕があること

なんて贅沢なんだろう!

「ああ、ありがたいな!」


するとどうでしょう!
あんなにマイナスな気で充満していた体が一転
充実した気持ちのいい気で私の体中は埋め尽くされました。

この時に、涙と共に得られた気づきがあります。
「感謝は、我が身を救う」ということです。

その後は、涙のせいで運転が危なくなってしまいました(笑)
目にもワイパーがほしいと切実に感じました。



はるはるを授かるまで、私は「マイナスエネルギー」の発信者でした(笑)
すべてのことをマイナスに捉え、苦しい毎日でした。
3日に1度、訳もなく襲ってくる「不安と孤独」の嵐。
暗闇が何の前触れもなく私の全身を覆ってくるんです。
吐き気がし、頭痛がし、「私」が存在している理由が解らなくなり、
未来に悲観し、こわくてこわくて消えてなくなりたいという気持ちに
支配されてしまうんです。
皆も同じなのかなと思って、主人に聞いてみました。
「突然暗闇に襲われて、未来に不安をいだくことがある?」
って。
すると主人から「ない!」ときっぱり言われてしまいました。
私だけなんだと気づいた瞬間でした。


母は、そんな私を非常に心配していました。
よく母からこのようなことを言われました。
「ひらめは、感謝が足りない。
 食べられないという経験をしていないから、
 甘いんだよ」と。

私はそう言われるたびに母に
「お母さんは、解っていないからそういうことを言うんだ」
と反発していました。
解っていないのは、私だったのに・・・。

感謝はしているつもりでした。
でも、本当に「しているつもり」だけだったのだと今ではよく分かります。


感謝は言われてするものでもないし、しようと思ってするものでもないからです。
感謝には、深さがあり、魂の底から湧き出てくるものだと思うからです。


この頃から私は、突然「幸福」に満ち足りた感情に襲われる(?)ようになりました(笑)
今までの「闇」の襲撃ではなく「光」の洗礼とでもいうのでしょうか?!
厚い雲の切れ間から一筋の尊い光が差し込んでいるクラシックな絵画のような。
脳から「脳内麻薬」が噴出している感じです。
私は、その度に、私に関わる方々すべての「お幸せ」を祈らずにはいられませんでした。
「祈り」は、本当に相手に届くのかどうか自信がありませんでしたが、
今でははっきりと断言できます。
「祈り」は相手に必ず届きます!
なぜなら、母をはじめ、私のことを愛してくださっている方々の私への祈りが、
私を救ってくれる道へと導いてくださっているからです。

気づきを得るのは、自分が体験して乗り越えたからです。
でも、その気づきは自分一人で得たものではないということです。

私が「私自身」をゆるすこと、「相手」をゆるすこと、「感謝」をすること。
これらは相手に伝わり、その相手にもまた「感謝」の気持ちが湧き出てくるのだと思います。

感謝の種を蒔けば、感謝の花が咲き、感謝の花粉が風に舞い人々の元に届けられる。
感謝の花はやがて感謝の実を実らせ、感謝の種を産むだろう。
感謝の花は、感謝の花束となって、自分のもとにかえってくる。

これは、はるはるが退院することが決まったときに
やはり、車の中で頭に浮かんだ詩です。
「感謝」の部分を色々な言葉に置き換えてみてください。
例えばマイナスの言葉を置いてみてください。
「不満」とか「恨み」とか「悲しみ」とか・・・ちょっと怖いですよね?!
結局は、自らが発信した気持ち(念や祈り)は、
そっくりそのまま自分にかえってくるということなのでしょう。


ここ最近、私はまた過去の「マイナス」の自分が芽生えてきているのを感じます。
疲れているからなのかも知れませんし、
傲慢になっているのかも知れませんし、感謝が足りないのかも知れません。

だから、上記のことを思い出してみました。
私を救い出すのは、ほかの誰でもない、「私自身」なんですから。