はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

はるはるの手術をひらめの目線で語る/ひらめの学び

はるはるの手術をひらめの目線で語ってみたいと思います。

はるはるが手術を受けた日は、母方の祖母のお葬式でした。
そして、20年程前に亡くなった母方の祖父の命日でもありました。

祖母が亡くなったと実家の母から電話を受けたのは28日(土)でした。
不思議なことに、私は「28日は家にいたい」と思っていました。
手術の前なので、毎日面会に行く予定ではいましたが、
土曜日は、どうしても家にいたかったのです。
そのお陰で、母から祖母が亡くなったことが直接聴けましたし、
香典や電報の準備もすることができました。

祖母は、昨年の秋頃から旅立ちの準備をしていました。
私は何となく、はるはるの手術に合わせてお迎えがくるのでは
ないかと思っていました。
なぜなら、祖母は山口県に住んでいます。
はる兄とはるはるを連れて(吸引機等も)の長旅は、正直いって大変です。
参列したとしても、私はお通夜やお葬式のお手伝いはできず
迷惑をかけていたことでしょう。
もちろん、私は大好きなおばあちゃんのお葬式に参列して、
おばあちゃんに最後の挨拶をしたかったのが本音です。
その準備もしていました。
そして、はるはるの手術の日にお葬式が重なることで、
母は(はるはるの手術のことで)余計な心配をすることなく
この日を迎えることができたのではないかと思っています。

もう一つ。

はるはるが入院する前の週に、私は実の母を招待して福島県に行きました。
私の妹と甥っ子も一緒でした。
前々から予定していた旅行です。
この旅行の丁度1週間程前に、祖母は危篤状態になりました。
次の日には、電話に自ら出られる程に回復しました。
そのお陰で、予定通り母と一緒に旅行に行くことができました。

これは勝手な私の推測ですが、
はるはるの予防接種をしたために一度手術を見送っていること、旅行のこと、
はるはるの手術、祖父の命日・・・
これらのことは、仕組まれていることのように思えてなりません。
寿命は、生まれる前に自らが設定してくると私は信じています。
だから、祖母が寿命を迎える日は動かすことができません。
となると、祖母の寿命に合わせて、はるはるの手術が組まれたような気がしてなりません。

もしこれらのことが私の信じる通りのことだとするならば、
全てのことには、やはり意味があって
「なるようになる」ということなんだなと実感しました。


私は、昔から「不安」になると、とことん不安にのめり込んでいました。
小さな雪玉がころころ転がって、しまいには大きな雪だるまになってしまうように・・・。

はるはるの手術の電話をいただいたとき、若干パニック状態になりました。
動悸がしてきて、指先が震えだしました。
私の中だけでは抱えきれずに、誰かに言いたくなりました。
待ちに待っていた手術とはいえ、大事な息子の手術。
不安にならないはずはありません。
でも、私は私の性格をよく知っています。
誰かに伝えたら、その分、不安も過度に深まり、大きくなっていきます。
もしくは、不安が小さいのに「もっと不安にならなくてはいけない」と
自分に暗示をかけてしまって、必要のない不安も作り出して
背負い込むところがあるんです。
だから、親戚や入院の為にキャンセルしなくてはいけない会等の
必要な方にしか伝えませんでした。
私自身もなるべく手術のことは、考えないようにしていました。
そのお陰で、手術前日まではまったくと言っていい程に
不安を感じることがありませんでした。

手術前夜までは、手術の説明等を受けたりしてぐったりしていたので
よく眠れました。
だから、今晩もよく眠れるだろうと思っていました。
しかし!
本心部分は、不安だったのでしょう。
まったく眠れませんでした。
ドキドキと動悸が徐々に激しくなって、考えないようにして眠ろうとすればする程
目が「カッ」と冴えてしまうのです。
ショックでした。
結局、ほぼ眠れないまま朝を迎え、当日は胃に違和感があり、
吐き気と胃痛に襲われ、何度かトイレに駆け込みました。
これまたショックでした。

どうして、平常心でいられないのだろう・・・。
はるはるにできるだけプラスの元気な気を送りたいのに。
これでは、はるはるに元気な気を送れない・・・。
その為に、不安にならないように努力してきたのに・・・。

はるはるを手術室に送り出す時、はるはるの安らかな寝顔を観ていたら
涙がぐーーんとこみあげてきました。
1滴でも涙をこぼすと、収集がつかない程に泣き出しそうだったので、
なんとかしようと、必死に冗談を言って、心臓外科の先生と看護師さんを
笑わせようとしました。
そのかいあって、先生も看護師さんも吹き出してくださり
私も涙を流さずにすみました(笑)

25日の入院の日に、駐車場で思いがけずも
友人のあかりさんとふみぽんに会うことができました。
その時に、はるはるの入院の訳を話しました。
手術当日は、ふみぽんも外来だったので、二人はわざわざ会いに来てくれました。
これまた、なるべく平常心でいようとしていた(けど、実際は緊張していた)私の心は、
二人の登場のお陰で、すっかりリラックスすることができました!(*^▽^*)
約2時間!も!一緒にいてくれました。
あかりさん、ふみぽん!ありがとう<(_)>


この入院と手術で、ふと思いついたことがありました。
「私(人智)の力が及ばないことについては、私からは望まないようにしよう。
 もし、そうなったら、そうなったことを受け入れていこう」
ということです。
言い直すと、つまりは「神様におまかせしよう」ということです。

入院、手術のことは、多くには伝えないようにしていたこと。
25日が入院日だったこと。
25日がふみぽんの外来だったこと。
すれ違うことなく、駐車場でばったり会ったということ。
手術当日もふみぽんの外来だったということ。
私にとって、この期間にあかりさんとふみぽんに会うことが
必要なことだったのでしょう。

手術を一度見送ったということ。
旅行に行けたこと。
祖母の旅立ち。お葬式。祖父の命日。

その時々に起こる事柄の一つ一つの理由は、
その時点では、つながっているようにはみえませんが
後に振り返ってみると、それらはまるでパズルの細かいピースの一つ一つの
ように見えてきて、それらをあてはめていくと、意味のある一つの「絵」
のように、はっきりと現れてきます。

神様のなさることには無駄がないな と、そう思います。
私自身がすることは、無駄ばかりですが・・・。

私が不安になるのも神様にとっては「計算のうち」だったのでしょうね?
だって、不安になることで、学ばせていただいたことがあった訳ですから。