はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

made in colombia/ひらめの独り言

ひらめは、南米コロンビアで産まれました。
南米というと何を連想されますか?
「コーヒー」「麻薬」でしょうか。
コロンビアは「エメラルド」がとれる国でもあります。
「美人が多い国」としても知られています。
確かに治安は悪く、皆ピストルを携えて、厳しい顔をして町中を歩いています。
父は、腰に入れているピストルの安全装置をつけるのを忘れて
そのままベッドに横になり、ピストルが暴発して大けがを負ったこともあるそうです。
日本では考えられませんね。
気候は、一年を通して温暖です。
ん?日中はかなり暑いと思います。朝晩は冷えますが。
突然のスコールもあります。

両親は私が6歳のときに離婚しました。
私と妹は、母について、母の故郷である日本に来ました。
父は、日系2世です。
日本語は分かりません。
当然、私たち姉妹も日本語なんて話せませんでした。
日本っていう国には「さむらい」がいて、刀をさしていて
野蛮な国だというイメージがありました。

父の両親(祖父母)は、2人とも日本人ですが、
コロンビアに開拓の為に移住してきました。
祖母は、祖父を知らないまま船でコロンビアに渡り、結婚をしたそうです。
今では、相手を知らないまま結婚するなんてことは考えられないですよね。
彼らは、大変な苦労の末、大成功をおさめました。
父方の祖父は、兄弟そろってコロンビアに移住してきたそうですが
兄弟全員が成功し、コロンビア国内では、この兄弟がトップ5を独占する程の
大富豪になったとのことです。

と、いうことで、私もお手伝いさんを抱える大富豪のお嬢様でした(笑)
皆からちやほや大事に育てられ、まさに温室育ち!の打たれ弱いわがまま娘でした。

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これは、産まれて間もなく、自宅で洗礼を享けているところです。
私を抱っこしているのは、両親ではなく、私のおじとおばです。

コロンビアでは、産まれてすぐに耳にペンチのようなもので
穴を開け、「ピアス」をつけます。
私も祖父が買ってくれた真珠のピアスをつけていました。

未だに私の耳には穴があいていますが、湿気の多い日本に来た途端、
「金属アレルギー」になり、残念ながらピアスはできなくなりました。

イメージ 2イメージ 3
私が1歳と2歳のときの誕生日の写真です。
ケーキは、すべて母の手作りです。
写真が見づらいですが、ケーキの上にのっている人形などは、
すべて砂糖で作られています(これも母の手作り)。
向こうでは、誕生日会を非常に盛大に行うそうです。

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これは、幼稚園のクリスマス会での劇です。
クリスマス会では、必ずキリスト様の誕生を再現する劇が行われます。
私は、青い衣装、青い翼をつけて、舞台の一番左に座っています。

12月に入ると各家々では、「ペセブレ」と言われる人形を飾ります。
産まれたてのキリスト様、マリア様、ヨセフ様
(ぴーた@さん、キリスト様のお父さんの名前を教えていただいてありがとうございました)
羊飼い、牛、馬、羊、博士たち、天使。
これらを飾ります。
うちも未だにクリスマスになると飾ります。
いつか画像をアップしますね。
博士たちは、12月1日から25日までの間、1日ずつ
キリスト様に近づけていきます。

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これは、卒園式の写真です。
コロンビアでは、叱られる時は、ムチでたたかれます。
日本に帰ってからも、母はコロンビアの習慣をそのまま
受け継ぎ、私たちは、ベルトで叩かれていました。
現在では、「児童虐待」と言われてしまいそうですね(笑)
どの写真も直接アルバムの上から撮影したので
見づらいですね。すみません。

実は、ここまで書いてきましたが、6歳までの記憶がまったくありません。
どんなに思い出そうとしても思い出せません。
母から「こうだったよ」と聴いて「へえ、そうだったんだ~」と
ひとごとです。
22歳くらいに、コロンビアに帰ったのですが、自宅をみても
まったく思い出せませんでした。
まるで他人の家にいるようでした。
この時の写真などもいつかアップしたいと思います。

記憶がないのは、恐らく子供なりに父親や他の親族と離れるのが
ひどく寂しかったからかも知れません。
思い出すと辛くなるから、心の奥深くにしまいこんで鍵を
かけてしまったのでしょう。
それに、日本に来て、肌の色が真っ黒だったことや日本語がまったく
話せなかったことで、いじめにあったからなのかも知れません。
日本語は、半年で覚えたそうです。
子供の記憶力っていうのはすごいですね!
母は、私たちの将来のために、自宅ではスペイン語(コロンビアの母国語)
を話してくれていましたが、私は拒否しました。
今となっては、まったくもって勿体なかったなと思います。
あのまま素直に話していれば、今頃はスペイン語もぺらぺら~だった
ことでしょう。しょぼりん。
すこーしばかり、単語は覚えているので、また記事をもうけます。