はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

道中思うこと/ひらめの学び

うちからはるはるの通う病院までは、車で片道1時間程です。

その道中で、毎回思うことがあります。

この一時間の間に多くの車と出会います。
途中まで一緒だったり、すれ違うだけだったり、
最後の方でずっと一緒だったり。
長い距離を同じ方向で連れ添うように走る車があると妙に情がわいたりして。
その車と別れるときにはちょっぴり寂しい気持ちになります。
「どうぞ、お幸せでありますように」
と心の中で一礼してお別れします。

と、いうこともあれば、
「ああ、なんか気味の悪い車だな。
 ぴたーーーってくっついて、 
 早く離れないかなーー」
って、思うこともあります。

「なんだか、人の一生みたいだな」
なーんてふと思うんです。

うちを出た瞬間から、病院の駐車場に入る瞬間まで
ひらめが運転する車にずっと連れ添う車はありません。
長い距離を共に走る車はあっても、必ずどこかで別れがきます。
自分が乗っているのと同じ車種だったり、
色が違ったり、大きな車、小さな車、バイク、自転車、トラック・・・。
様々な種類の乗り物と出会い、別れます。

と、いうことで、ひらめお得意の妄想の始まり始まり~。
(ひらめ独自の世界の話なので、細かいことは流してください<(_)>)


ひらめ宅の駐車場に停まっている愛車を「胎児」と仮定します。
病院の駐車場を「あの世」と仮定します。
ひらめの愛車は、ひらめがこの世に産まれるために自ら選んだ「肉体」と仮定します。
そして、愛車を運転するひらめは「ひらめ自身(魂)」と仮定します。
輪廻転生をくり返すひらめの魂は、次に人間世界で修行するのに適したボディを選びました。
そろそろ、母体から離れる時期がきたので、
ひらめは今回選んだ肉体(愛車)に魂(ひらめ自身が)をのせます(乗り込みます)。
さあ、あの世に再び帰るまで、ひらめはこの肉体で修行を開始します。

ひらめは、エンジンをかけて愛車を発車されるまでの間、若干緊張します。
無事に目的地(あの世)にたどりつく(帰る)ことができますようにと深呼吸します。

母体(駐車場)から出ました。
外の世界は、非常にまぶしいです。

すいている道路もあれば、混むところもあります。
合流しなくてはいけない場所もあります。
特に合流する所では緊張が高まります。
走っていると色々な車(人々)に遭遇し、事故を目撃することもあります。
余裕があるときは、他の車に道をゆずってみたり、
焦ってスピードを出すこともあります。
車と車の間をぬって猛スピードで走っている車をみては
「危ないな~。
 どうぞ、ご無事でありますように」
と思ってみたりします。

小さな車(肉体)を運転しているのは意外にも大きな人だったり、
大きな車(肉体)を運転しているのは意外にも華奢で小柄な人だったり。
ガラスにスモークをはったり、カーテンをつけたりして
車の中の様子がまったく分からない車もあったり。
パステル調で色々な飾りのついた車を運転しているのは意外とごっつい人だったり。
車と運転者のイメージが似たような人だったり。
車体を大きく傷つけている車。
見た目には分からないけど、エンジンなどにトラブルを抱えた車。
冷暖房が不自由になってしまった車。
ウィンカーやライトがつかない車。

今にも眠ってしまいそうな運転手。
外見では分からないけど、イライラしながら運転しているかも知れません。
ニコニコと運転しているかも知れません。
涙を流しているかも知れません。
オロオロと挙動不審かも知れません。
何か悪いことを企んでいるかも知れません。
いやに自信たっぷりかも知れません。
歌いながら、あくびしながら・・・。

様々な車の出会いの中で、長い間同じ道を共に走る車が現れます。
ほんのちょっとの間、同じ方向を共にする車も現れます。
2車線の道路では、隣の車と競争してみたりして。
対向車にパッシングされてみたり、クラクションを鳴らせれてしまったり。
はたまた、つい魔が差して隠れていたパトカーにつかまってしまったり。
見つからなければ大丈夫と、携帯で電話したりメールしたり。

色々な痛い目にあうことも。
危ない目にあいそうになることも。
でも、危ない目にあったら、次からは同じ間違いはおかさないようにと
学習したりして。

車体のない歩行者(魂)もたくさん道を歩いています。
歩行者が道を横断しようとしているのを見つけて停まってみたり。
無視して走りさったり。

駐車場を出てから病院の駐車場に着くまで
ずっと同じ道を走る車はありません。
出会って、別れて、また出会って、別れて。

駐車場を出てからほんの少し行ったところに目的地がある車。
ながーーい距離を走った所に目的地がある車。

車だけではありません。
バイクとも出会います。
自転車ともです。
バイクや自転車は、屋根がありません。
雨が急に降ってきても走らなくてはいけません。
風が強く寒い日も。
自転車は、更に過酷です。
自力走行ですから。
でも、彼らには、彼らなりの理由や目的があって
様々なことを覚悟の上、その車体を選んで目的地までいくのでしょう。

中古車だったり、新車だったり。
若葉マークをつけていたり、もみじマークをつけていたり、教習者だったり。

ナビがついていたり。
ナビがなくて、地図を開きながら走ったり。
ナビの言うことに逆らってみたり。
それで、道に迷ってしまったり。
でも、迷ったことで素敵なお店を発見したり、
意外に近道だったり。
迷いながらトロトロ走って、渋滞を引き起こしていたり。
でも、運転者本人がそれに気づいていなかったり。
後続車から「プッ!」ってクラクションを鳴らされても
「気分が悪いな。
 なんでクラクションを鳴らすんだよ」
って、まわりに迷惑をかけているのに文句を言ってみたり。


様々な車(肉体)。
様々な運転手(魂)。

出会って、別れて、また出会って、別れて。





高校を卒業するときに、母から教習所に通うように言われました。

「車の免許があるとね。
 いざというときに人様のお役に立てるんだよ」

私は、免許があると車が運転できて、
「自分のために便利に使えるから」としか考えていませんでした。



この世では、もちろん「自分自身の魂を磨く為」に修行をするのだと私は思っています。
だけど、自分のことばかりでなく、自分以外の方のお役に立たせていただく、
そういう人生もあるんですよね・・・。