はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

気づき/ひらめの学び

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「悟りとは  日々の中での  気づきなり
       乗り越えた先に  みえてくるもの」

はるはるを授かって、学ばせていただいたことです。
この俳句は今年の1月にふと思いつきました。

「悟り」っていうのは特別な人(聖人や修行僧)しか得られないことだと
思っていました。
でも、そうではないことを知りました。
「悟り」って大げさですが、ようは「気づき」ですよね。
どんなに小さなことでも、気づいたら、それは立派な悟りだと思うんです。
「私って、こういう考え方をするんだ」とか。
「こう思っていたけど、こういう見方もあるんだな」とか。
だから、みんな普段から悟りを得ているんだと思うんです。

一見マイナスや不幸だと思える出来事も
受け止めて、乗り越えていくと、
そこで待っているのは
「気づき」なんですよね。

悟り(気づき)は、他人の言葉を聴いただけでは得られないと思います。
自らが経験して、自分の中から湧き出てくる言葉や想いだと思うんです。

そして、人間は、痛い経験をしないとなかなか気づけないように
なっているのではないでしょうか。
すごいシステムですよね?!
(さほど痛い経験をしなくても悟れる方は、
おそらく何回も何回も輪廻転生をくり返されていて、
魂の経験値が高い方だと思います)
だから、肉体をまとっているんだと思います。
魂(精神)だけなら、痛みもなければ、空腹も欲望も所有欲もなく
相手の気持ちを察するなんて煩わしいことをしなくても済みます。

相手の気持ちを察することができないからあれこれ悩み、
相手に良かれと思ってかけた一言が相手の心を傷つけたりします。
傷ついた相手は、「こういうときにこういうことを言われたら傷つく」
ということを知り、同じような経験をなさっている相手に対して
自分が傷ついたような言葉は使わないように気をつけます。
これも立派な気づき(悟り)だと思います。
そうすると、「傷つくことを言ってくれた相手」に「感謝」する気持ちが産まれます。
これもまた気づき(悟り)です。

欠けている部分があればある程、気づきの要素が多くなるとも思います。
例えば、家庭の事情であったり、肉体的なことであったり。
満たされていればいる程、幸せだと思ったら、実は正反対だったりします。
満たされていると、自ら「欠けている部分(マイナスの部分)」を探し出そうとする思うんです。
容姿や学力や金銭的なことだったり、、、。

命のはかなさを身をもって知った時に心から湧き出て来るのは
本物の「感謝」だと思うんです。
そして、実は多くの「幸福」の中に自分がいること知り、
気づきのコツを覚えると、いくつもの「幸せ」を発見していけるんだと思います。

こういうふうに考えるようになって、私は今、
以前のように将来に対して漠然とした不安をもつことは少なくなりました。
そのときがきたら、受け止めて乗り越えていけばいい。
乗り越えたら先には、必ず「気づき(悟り)」を得られるから。