はるはるとはじめのい〜っぽ

ダウン症がある息子と、シングルマザーである私の記録用日記

気を遣うのはエゴ/ひらめの独り言

私は、相手の気持ちに同調(同情)するあまり、
相手の方と一体になろうとしてしまいます。
相手の方の気持ちを理解しようというレベルを越えて
その人自身の苦しみを自分に乗り移らせてしまう
とでも言うのでしょうか。
だから、精神的に落ち込んでしまうことが多々ありました。
精神は肉体とつながっています。
だから体も不調なことが多かったです。

これは決していいことではありません。


高校は3年間寮生活をしていたと以前からお伝えしていましたが
恐らく、この寮生活でつちかったものではないかと思います。

皆さん、寮生活というとどのようなイメージをされるでしょうか?!
個室でゆったりと勉強ができ、プライベートが守られ、
横のつながりが強く(友達)、先輩後輩とも仲良く笑顔の絶えない
楽しい場所。
そういったイメージをもっている方もいらっしゃると思います。
もちろん、イメージ通りの寮生活もあることでしょう。
寮生活を送る年齢やどのような目的をもっての寮生活か、
ということでも大きく違ってくると思いますが・・・。

私の体験した寮生活は、「24時間団体生活」でした。
まさにプライベートは皆無です。
1部屋に4~6人が生活します。
1年生から3年生まで同じ部屋です。
夜中の寝言やおなら、歯ぎしり、いびき・・・
それらはすべて筒抜けです。

勉強机は、部屋とは別の場所にあります。
それぞれの机は棚で仕切られていますが、
椅子を後ろにずらすと隣が見えます。
上級生のいうことは絶対で、決して口答えしてはいけません。
どんなに理不尽なことを言われても
「はい」
と言ってその通りにしなくてはいけません。
同級生以外には、「絶対敬語」と呼ばれる最上敬語を使用していました。
自分のことは「わたくし」と言わなくてはいけません。
「ごめんなさん」も「すみません」も使ってはいけませんでした。
謝るときは「申し訳ありませんでした」を使用します。
そのお陰で、社会に出た時、言葉遣いや身のこなしで苦労したことは
ありませんでしたが・・・。
下級生は、上級生に話題を提供しなくてはいけない義務がありました。
上級生に楽しんでいただかなくてはいけなかったんです。
朝食は寮の同級生ごとで、昼食は友人同士で、
夕食はお部屋単位でとりました。
だから、夕食が一番嫌いでした。
毎日違う話題を食べながらしなくてはいけないからです。
しかも、下級生は上級生がお箸を持つまで食べてはいけなく、
上級生が食べ終わるまでに先に食べ終えて待っていなくてはいかなかったんです。
もちろん、上級生がおかわりをする場合は、下級生がそのおかわりを
とりに行かなくてはいけなく、
話題を提供しながらも必死に食べなくてはいけなかったんです。

ストレス続きで、1年生の夏までには退学される方が何名かいました。
まさに弱肉強食。
上級生に可愛がられるように要領よくやることが
寮生活でうまくやっていく手だてだったんです。

私は、学校でも寮でも劣等生でした。
変わり者だし、話題は提供できないし(アイドルやファッションに興味がなかったから)
気が利かないし、気がつかないし、トロイし、勉強はできないし、
ユーモアのセンスはないし、打たれ弱いし、わがままだし・・・。

1年生のある日、お部屋に入ろうとして、中から声が聞こえてきました。
同室の1年生が3年生にこう話していました。
1年生「わたくし、もう我慢ができません!
    あの子(ひらめ)を違う部屋にかえることはできませんか?!
    先生に話してやめさせることはできませんか?!
    あの子と一緒にこれ以上は生活できません!」
3年生「ごめんね。部屋っ子(1年生のことはこう呼ばれていました)
    あともう少ししたら寮が変わるからね。
    もう少しの辛抱だからね。
    私は、あなたの味方だからね」

ショックでした・・・。
同室になった子は、成績も優秀で、綺麗で、しっかりしていて
要領が良く、ものすごく気が利いて、話題も豊富で・・・。

ん?!だから、私の同室に選ばれたのかも知れませんが。

夏期休暇に入る前の晩。
夜中に別の部屋の3年生に廊下に呼び出されました。
「ひらめちゃん。
 あなたこのままだと、寮にいられなくなるよ。
 それがどういう意味か・・・
 あなた、わかってるよね」
と、脅されてしまったこともあります。

私がこんなんだから、皆さんに迷惑をかけてしまっているんだ。
どうしたらいいんだろう。
自主退学するのは、絶対に嫌でした。
泣きながらでも3年間やり遂げてやろうと決心しましたから。
ストレスのせいか、体重が激減しました。
体状疱疹も発症し、その後約10年は続きました。

それでも、頑張りました。
3年生になる前だったか?!
3年生になったばかりの頃だったか?!
努力の成果が実り、友達は増え、いじわるしてきた同級生も認めてくれ、
誰よりも「気がつく」ひらめに成長していました。

24時間、3年間、私は寝ている間もアンテナを張り続けていました。
相手が欲していることは何なのか?!
気がつけるようになりたい!

相手が傷つく言葉は何なのか?!
相手のちょっとした仕草や言葉からそれを察したい!

私が今ここでなすべきことは何なのか?!

多くの方に迷惑をかけてきたから。
多くの方に嫌われてきたから。
私の足りないところは何なのか。
それらが知りたくて私は、私の内側をみつめ、
向上したいという気持ちが強く芽生えました。

相手を傷つけないように「気を遣う」ことを覚えたんです。

これはもう異常ですよ。

そのうちに、相手と自分の境目がわからなくなってきてしまったんです。
相手が辛いという、その辛さを私は背負いたくなってしまったんです。
だからって、相手の心が軽くなるとは限りません。
私の体も心も病んでしまうだけです。

大学に入って、色々な友人から「もっと気楽になりなよ」
と言ってもらいました。
私の言葉で相手が傷ついたとしても(もちろん故意で言ったことでなくても)、
そんなことは、お構いなしで気楽だったあの頃には
もう戻れなくなってしまっていました。
自分の言動で相手を傷つけることに異常に敏感になってしまったのです。

だからかな。
私は、大勢が集う場所が特に苦手です。
なぜなら、気を遣うからです。
少人数だと気を遣う規模も少なくていいのですが
大勢だと私のアンテナが足りなくなります。
オーバーヒートしてしまいます(笑)

はるはるを授かって、重症なお子さんを抱えるママさん友達との出逢いで
私の異常な程の「気の遣い方」に更に拍車がかかりました。
今度は、私が何も言っていないのに、していないのに、
はるはるをみて、私や主人をみて傷つく方がいらっしゃるようになったからです。
そんなママさん達の心に傷をなるべく作らないようにするには
どうしたらいいんだろう。
そのママさんの環境やお子さんと同じような環境に私もしてしまおうか。
と、ここまで考えてしまいます。

そんなとき、スピリチュアルカウンセラーの江原さんの本に出逢い、
このように書いてありました。

相手に対して「気を遣う」というのは、「エゴ」が強いからです。
相手のことを想っているようで、
実は、自分のことしか想っていないということです。
自分が相手から嫌われたくないとか、悪く思われたくない、傷つきたくないと
思っているからなんです。
気は「遣う」ものではなく「利かせるもの」です。

はっ Σ(@@  としました。
そうだったんだ!
私ってエゴが強かったんだ!!
自分のことしか考えていなかったんだ!!!
やだ~、ちっとも成長していないじゃない!!!!
気を「遣う」から気力も体力も消耗してしまっていたんだ。
気を「利か」せば、自分も相手も辛くならないんだ!!!!!

でも、しばらくはどうしたらいいのかが分かりませんでした。
そんなある日、母の言葉を思い出しました。
「相手のお幸せをお祈りさせていただきなさい」

そうか、これだ!と思いました。

今でも、相手と一体になろうとしてしまいますが
なるべく早い段階でそのことに気がつくように努力しています。
そして、「どうぞ、お幸せでありますように」と相手の方の
ことを思い浮かべながらお祈りさせていただくようにしています。
私が気を遣うことで、多くの方にご迷惑をかけてしまったり、
逆に気を遣わせてしまっているので、この場をおかりして
お詫び申し上げます<(_)>

相手の方のお幸せをお祈りさせていただいた後は、
すっぱり気持ちを切り替えて、自分の生活を送るように努力している段階です。
だって、私は、私の人生の主役なんですもんね。

ということを考えていたら、先日の「オーラの泉」で
まさにタイムリーなテーマが放送されていました。

同情は相手の為にならない。
相手には相手の修行がある。
相手が辛い状況にいるのは、それは相手の勉強(修行)だから。
その修行を同情で中途半端にさせてしまうことの方が
よっぽどつまらない。

「はい」と思わず返事をして頭を下げてしまいました(笑)

私の強いエゴは、相当なものですが、
だからこそ勉強のしがいがあるというものですね。